田中けんじのプロフィール
生い立ち・政治への思い議会活動等
田中けんじの生い立ち
3才のとき、父と金閣寺にて
1969年 7月14日京都市生まれ。
父はタクシー運転手、母は専業主婦の家庭で育ちました。
父も母も亡くなりましたが、両親への思いはいつも忘れません。
写真は、3才のとき、父と金閣寺にて。
甲子園大会に出場、ベスト8に入る
1987年 府立北嵯峨高校3年時、5番ファーストとして
甲子園大会に出場、ベスト8に入る。
甲子園では、初出場の初戦の初回にタイムリーヒットを打てたこと、
もつれにもつれた延長戦を勝利して校歌を歌えたこと などなど・・・
思い出すたびに感動や感謝がこみ上げてきます!
住友商事時代には、鉄鋼製品の国内営業を担当
【大学時代】
・経済学部では都市経済論を専行。卒論は、東京一極集中の加速を受け、東京圏と大阪圏の都市比較をテーマに。
・硬式野球部では近畿学生野球連盟リーグ戦の3部→2部→1部へ昇格を果たし、1部昇格後には主将を務めました。

【社会人】
・住友商事では大阪本社で鉄鋼製品を担当。国内営業では、大手鉄鋼メーカーから大手自動車メーカーへの仕入れ、納期・在庫管理、加工メーカーへの納入、価格交渉などを担当。部内では予算管理や部内旅行の幹事なども任されました。
・海外向けでは、東南アジアの日系企業への輸出や南アフリカのダイアモンド採掘用のステンレスワイヤーの輸出を担当していました。
・労組では福利厚生担当の副組会長を経験。商社の膨大な残業を削減するプロジェクトリーダーや退職金制度の改訂などに取り組みました。
福山哲郎参議院議員の秘書として、 地元京都の活動をサポート
2001年 福山哲郎参議院議員の秘書として、
地元京都の活動をサポートしてきました。
多くの選挙や勉強会出席、ボランティア活動など
さまざまな経験をさせていただきました。
京都府議会議員選挙に初挑戦
2007年 京都府議会議員選挙に初挑戦。
投開票日に選管のミスで一旦「当選」と発表されたものの、
集計ミスとわかり、7669票をいただくも次点。
その後、繰り上げ当選となりました。
2011年 京都府議会議員選挙にて二期目当選
2015年 京都府議会議員選挙にて三期目当選
2019年 京都府議会議員選挙にて四期目当選
 
 
家族構成
妻、長女、次女の4人家族
 
政治への思い
 社会人時代に人生を深く考える中で、次のようないくつかのきっかけを経て、政治への思いが募り、現在に至ります。
・1995年、阪神・淡路大震災で大阪から神戸まで自転車で水やおにぎりを運ぶボランティアを経験し、社会とのつながりの大切さを痛感しました。
・1997年、初めての海外出張でインドネシアを訪問し、現地スタッフとの会話の中で政治の重要性を認識。当時のインドネシアは軍事政権下、通貨危機やジャカルタ暴動の直前で政治的に混乱した状況でした。
・1998年、営業の取引先を訪問の降りたJR亀岡駅前でたまたま福山哲郎参議院議員(当時は候補)の街頭演説を聞き、熱い思いが胸に迫りました。その後会社を辞め、秘書にしていただきました。
議会活動等