12月11日に行った一般質問の内容をお知らせいたします。
<1>G8サミット外相会合と温暖化防止対策についてお伺いいたします。
来年6月26日、27日に京都で行われるG8サミット外相会合は、
主要国の外務大臣が京都に集い、国際テロ、地域紛争、大量破壊兵器の問題、
エネルギー問題など外交上の重要課題を解決するための実質的な意見交換の場
であり、国際的にも注目される大変重要な会議であると存じます。
7月7日から北海道洞爺湖町で首脳会合が行われますが、
これに先駆けて行われる各閣僚会合は、関西では、5月24日から26日の
神戸での環境相会合、6月13日、14日の大阪での財相会合があり、
京都での外相会合はこれら一連の閣僚会合を締めくくるものであります。
首脳会合ほどではないにせよ、世界中の耳目が京都に集まることになりますので、
京都の名をあらためて世界にアピールする絶好のチャンスだと思います。
本府は、単に観光都市、歴史都市というだけではなく、国際会議都市として、
ここ10年間で2000以上の国際会議が開催された、世界有数の知的交流都市であると
言ってもよいと思います。
議定書にその名を刻んだ「京都議定書」採択の地球温暖化防止京都会議などが
世界的にも有名です。今回の外相会合も府民一体となって成功させれば、
国際会議都市、知的交流都市としての京都の名声はさらに高まり、ひいては、
日本の国際的地位の向上に大きく貢献できるものと考えます。
そのような重要なチャンスである今回の外相会合で京都を、「どのように」世界に
アピールするおつもりなのか、お考えを伺いたいと思います。
また、府民にとっては、世界が直面している外交問題や安全保障
といった諸問題を身近に見聞きする絶好のチャンスであります。
国際交流、国際相互理解などを含め、府民に対して、どのような啓発活動を
考えておられるのでしょうか?
さらにはその一方で、多数の要人が出席する国際会議等では交通規制など、
府民が迷惑に感じることもあるかと存じます。
テロなどの危険性も考えておかなければなりません。
先日、京都府警本部で「2008サミット関係機関警備対策会議」が開かれ、
関係機関の連携強化を呼びかけた、とのことですが、府民の生活に
支障をきたさないようにするためにはどのようなことを考えておられるのか?
お伺いいたします。
次に、わが会派の、北尾議員、大野議員も指摘されていることでありますが、
環境問題、地球温暖化防止の観点から、[来年の2008年に][京都で]
外相会合が開催される、その意味合いを考えてみたいと思います。
ご承知の通り、来年のサミットでは温暖化防止対策が主要なテーマの一つ
になると言われております。現状を見れば、ハイリゲンダム・サミット以降、
温暖化防止の取り組みが世界中で急速に加速しております。
10月には、ゴア前アメリカ副大統領と世界の科学者らでつくる国連のIPCCが
ノーベル平和賞を受賞されました。温暖化防止の取り組みなくして、世界の平和は
ありえないということを世界中に示したものと思います。
オーストラリアでも京都議定書の批准を訴えた、野党労働党が総選挙で勝利
しました。それには、誰の目にも明らかな温暖化の進行が背景にあるのだ
と思います。
さて、ご案内の通りでありますが、来年の2008年は、「京都議定書」が
採択されてまる10年が経つ年であり、京都議定書の第1約束期間が
開始する年でもあります。
2008年から2012年までの第1約束期間では、日本においては、
温室効果ガスの1990年度比6%の削減が定められております。
この約束を守るためには、いまのままの取り組みで本当にいいのでしょうか?
足元を見れば、温室効果ガスの削減は思うようには進んでいない状態です。
2006年度の速報値では、日本は削減どころか、6.4%の増加になっております。
「来年の2008年」に開催されるという意味は、このタイミングであらためて、
「このままの取り組みで本当に大丈夫なのか」と日本の温暖化防止の取り組みを
考え直す必要があるということではないでしょうか。
イギリスでは、ブラウン首相が、2050年までに80%削減を打ち出し、
「イギリスが世界をリードする」とメッセージを発信しました。
フランス、ドイツなども2050年までの中長期削減目標を示し、
ノルウェーやコスタリカは排出量を0にする方針を表明しました。
日本を含む先進国では、60〜80%程度の削減が求められております。
しかしながら、日本は具体的な中長期目標を示すにはっておりません。
日本はCOP3の議長国であり、これまでも国際的なリーダーシップを
期待され続けてきました。
日本が未だ中長期の削減目標を提示できないということは、
議長国としていかがなものかと考えます。
次に、「京都で開催される」意味合いを考えてみたいと思います。
京都は、「京都議定書」採択の地として、これまで環境の大切さを世界に発信
し続けてきました。世界と未来に対する責任を果たすには、「京都議定書」の目標を
達成し、さらなる温室効果ガスの大幅削減を進めるとともに、持続可能な社会を
実現することが必要不可欠であることは言うまでもありません。
本府では、日本の削減目標が6%と定められていることに対し、
独自目標として、2010年までに10%の削減を率先して取り組む姿勢を示しています。
しかも、この10%には森林吸収分や京都メカニズム活用分は含まれておりません。
具体的には、大規模事業者に削減計画の報告や公表を義務づける、また、
府庁舎においては、自らが率先して20%の削減に向けて消費電力の大幅な削減を図る
など、府独自の施策にも取り組んでまいりました。しかし、さまざまな要因はあるでしょうが、足元を見れば削減量が大幅に足りておりません。
直近の実績では、2004年度本府の温室効果ガス排出量は、90年度比2.8%の増加
となっています。
日本、あるいは京都の温暖化防止の取り組みを、世界の首脳に向かって、
胸を張って示すには、さらなる取り組みが必要であります。
本年10月に開催された、公開シンポジウムの中で、著名な養老孟司先生は、
「長い歴史を持つ京都こそ、持続可能な社会の知恵を持っている。京都が訴えれば
世界は耳を傾けるはず」とおっしゃっていました。
京都は1200年余りの歴史を持ち、その間、長い年月をかけて、自然環境、
伝統文化を守り、持続可能な社会を創造してまいりました。
これからの、持続可能な社会の第一の条件は地球温暖化などの
環境破壊を防止できるということでないでしょうか。
従って、総力をあげて全府民が取り組むという、もっと強い意志とメッセージを
京都から世界に発信するべきだと考えます。
ここで、具体的に二つ提案したいと思います。
?京都府としての、2011年以降の中長期削減目標をいち早く策定し、
内外に公表すること。
?法律で各市町村にも義務付けられている、「地球温暖化対策実行計画」を
府内全市町村において策定すること。今年10月末現在、府内26市町村の内、
15市町しかこの実行計画は策定されていません。
さらには、法律の義務付けではありませんが、「市町村地域推進計画」を府内すべての市町村で策定、実行することも提案いたします。
また、具体的な施策としては、京都版エコポイントシステムの推進や
家庭での太陽光発電の設置など自然エネルギーの利用促進、
中小、零細企業向けエコローンなど、さらなる施策を一刻も早く、徹底して実施するべきだと考えますが、いかがでしょうか。
少し理念的な話になるかもしれませんが、日本では、
安易な利潤獲得を優先し、
大量生産・大量消費・大量廃棄型の社会となってしまい、環境の破壊だけではなく、人間の心の豊かさをも奪い去ってしまった。他人に対する優しさや思いやりが
感じられない社会になってしまった。従って、今まさに、
価値観の転換が必要な時代が来ていると、このように指摘する方もいらっしゃいます。
一方で、世界を見渡せば、南太平洋のツバルなど、
海面上昇で沈みつつある小さな島々の人々、干ばつや水害で苦しむ人々、食糧不足に喘ぐ人々、また、生息環境を奪われる多数の生物、あるいは、テロや紛争などで苦しんでいる人々が多数存在します。
これらの人々のことに思いを馳せながら、それぞれの地域で、そしてここ京都で「何ができるか」を考えて行動し、環境を保全し、平和な社会を創造しようということをあらためて考えることが、「来年の2008年」に「京都」で外相会合が開催される大きな意味合いではないでしょうか。
この点も踏まえ、京都議定書の約束を守り、温暖化防止のさらなる取り組みを行うことが重要であると考えますが、知事のご所見を伺います。
<2>教育現場でのAED(自動体外式除細動器)の活用についてお伺いいたします。
突然の心肺停止には速やかな除細動が必要であり、そのための、AEDの有効性、重要性については理解が深まっているものと存じます。
AEDとこれに関係する2点、合計3点についてお伺いいたします。
1点目AEDについて、まず、新聞記事を2件紹介いたします。
本年5月1日付けの新聞記事によると、大阪府岸和田市で行われた春の高校野球大阪府予選の試合中、投手の左胸に打球が直撃し、その場で倒れ心肺停止状態になってしまった。観戦していた岸和田市消防本部の救急救命士が学校に備え付けのAEDを使うなど適切な処置をしたため一命をとりとめることができた。なお、この投手は夏の大会には元気に試合に出場されたそうでございます。
次に、本年9月2日付けの新聞では、大阪のある名門校で野球部の練習中、捕球しようとした生徒の胸付近にボールが当たり、前のめりに倒れてしまった。病院に搬送されたが、約7時間後にお亡くなりになってしまわれた。AEDはグランドにはなく、
約1キロ離れた体育館に設置され、それを野球部の副部長が車で
取りに行ったが、AEDを取って戻ってきたのは、
救急車が到着した後であった、ということです。
二つの新聞記事を紹介させていただきましたが、この差は何によって生じたのでしょうか?
つまり、AEDという「もの」があっても、緊急時には、速やかに、また、正しく使えなければ意味がないということではないでしょうか。
府教委では、昨年の12月までに全府立学校にAEDを配備し、所轄消防本部と連携する中で、生徒及び教職員へのAEDの使い方を含む「普通救命講習」の受講を推進するとしています。
しかしながら、この「普通救命講習」の受講率は、教職員で平成18年度19.6%、平成19年度は11月現在18.2%で累計すれば38.0%と徐々に増えてはいますが、受講状況はまだまだと
いったところです。また、生徒の受講率に至っては、同じく4.7%、5.7%といった状態です。
なぜ、受講があまり進まないのでしょうか?
私は、受講をさらに進めるために、指導者側の体制と受講者側の仕組みの二つの側面から提案したいと思います。
まず、指導者側の体制ですが、府教委が連携するとしている、
消防本部には、人手不足の問題があるのではないでしょうか。
消防本部では、いつなんどき、災害時等の消火、救急活動が発生
するかわかりません。それ以外の時間に講習を行いますので、学校側が受講したくても教える側の消防本部の方々とのアンバランスが生じることも考えられると思います。私も先日、地元中京消防署で「普通救命講習」を受講しましたが、その受講時も、緊急出動があり、指導を補佐されていた救命士の方が現場に出かけられる、ということがありました。
なぜ、消防本部のみとの連携なのでしょうか。このアンバランスの解消には、多少予算が必要であっても、AED普及に取り組む
民間企業やNPOなどをもっと活用することを提案したいと思いますが、いかがでしょうか。
次に受講者側の仕組みについてですが、まず、学校現場の教職員の意識をさらに高める必要があるのではないか、と考えます。
確かに現場の先生方は大変忙しいと思います。早朝から深夜まで、時には休日も含めて、授業や生徒指導はもちろんのこと、学校行事、部活、外部との連絡などなど。そんな中で、先生方の忙しさに拍車をかけるようですが、しかしながら、学校現場でのAED講習受講の優先順位は高いという意識を、あらためて持っていただく
必要があるのではないかと思います。
さらに、受講のより進んでいない生徒に対しては、AED講習を
授業に取り入れてみてはいかがでしょうか。
大阪府では来年度から全府立高校の授業にAED講習を取り入れる方針を固め、それに対し文科省も「命の大切さを学ぶ上でも有効だ」とコメントしています。本府でも大阪府と同様、全国に先駆けてAED教育に取り組むべきであります。
少なくとも、AEDが学校のどこにあるのかを把握するAEDマップを作成することや、使い方のビデオやパンフレットを活用することなどは、すぐにでもできることだと思います。
AEDに関連し2点目に、BLS教育についてお伺いいたします。
BLSとはBasic Life Support教育のことで、一次救命処置と
訳され、日常生活で突発する緊急事態に際して一般市民でも即座に判断し、とるべき行動をまとめたプログラムのことですが、このBLS教育も授業に組み入れることを検討されてはいかがでしょうか。
目の前で人が倒れているときに適切な対処をすることは
容易なことではありません。多くの先進国では学校や地域社会で
BLS教育が行われておりますし、日本でも慶應義塾などで
すでに取り組まれております。教育の現場で、なるべく早い時期
からBLS教育を行うことで、単に健康危機に際しての対処方法を学ぶだけではなく、実践を通して、「命の大切さ」を学ぶことは非常に意義深いことだと思います。
最後に3点目に、熱中症についてもお伺いいたします。
今年の夏も大変暑く、京都市立の中学校の生徒が熱中症により
救急搬送される事態がありました。
府教委としては、予防の徹底や防止を学校現場に三回通知
されましたが、もう一歩踏み込んで、熱中症予防の知識や
応急手当の方法なども授業に取り入れること、
あるいはマニュアルを作成して配布することなども検討されては
いかがでしょうか。
来年の夏も猛暑が予想されます。熱中症の予防にはこまめな水分補給や常日頃から健康管理に気をつけることなども大切ですが、
まわりの人が熱中症になって倒れたときの応急手当の正しい知識や訓練を授業に取り入れることも今や必要な状況になっていると思いますが、いかがでしょうか。
以上、AED、BLS、熱中症についてお伺いいたしました。
実際に、人が倒れたときにはどうなるのか、血があふれ出たときにはどうしたらよいのか、単に救急車を呼べばいい、というだけではなく、救急車が到着するまでの間、まず自分自身が対処しようと
すること、すなわち、自分のできる範囲で困っている人を
助けよう、という意識を持つことが、現代社会には必要では
ないでしょうか。
さらに言えば、これらに取り組むことによって、
毎日のように新聞に載っている、簡単に失われてしまう命、
若年層の犯罪の増加、いじめや自殺の問題などの
諸問題の改善にも寄与できるのではないでしょうか。
救急救命のノウハウの普及や実践を通じて、困ったときにはお互いに手を差しのべられる社会を創造することが大切です。京都では、一般常識として、誰もが救急救命の知識や技術を
身につけている、そのような地域になれば素晴らしいことだと思います。
生命の尊さや他人の苦しみを理解できる、ということは、
まさに現代の教育において、優先順位が高く、大変意義深い
ことだと思いますが、どのようにお考えでしょうか。
以上で私の質問を終了させていただきます。
ご静聴ありがとうございました。
連日、文教常任委員会での議論をお伝えしています。
2日は、府立学校のAED(自動体外式除細動器)の設置、活用について質問いたしました。京都府ではすべての府立学校にAEDが設置されていますが、AEDの使い方を含む、「普通救命講習」を受講しているのは、教職員で20%弱、生徒で5%弱、とのこと。それでは、万が一のとき、AEDがあってもそれを使うことができない、という事態も考えられるのではないかという指摘をいたしました。
AED受講が進まない原因としては、教える側の消防本部の人手が足りず、学校側が順番待ちをしていて時間がかかっていること、等が考えられます。しかし、そんな悠長なことは言っていられません。いつなんどき、先生方や生徒さんが心肺停止などに陥るか、わからないのです。
今年は、高校野球に関して象徴的な事故が2件ありました。
1件はある高校での練習中のこと。ボールが胸にあたった生徒さんが心肺停止状態となり、AEDを取りに行くのに時間がかかったこともあり、その生徒さんは亡くなってしまった。もう1件は試合中やはりボールが胸にあたり心肺停止状態に陥ったが、その試合をたまたま救命士の方が見ていて、AEDが近くにあったこともあり、その生徒さんは助かって、元気に野球を続けている、というものです。
単にモノがあれば良い、というのではなく、それが活用できる環境づくりが大切だと思います。AEDを使える人を増やす、消防本部の方が少ないのであれば、民間やNPOを活用して多少お金がかかってもすみやかに講習を受講できる体制をつくる、また、AEDが学校のどこに置いてあるかを常にチェックしておく、さらには、学校内だけではなく、各種試合やイベントにおいても救急体制を構築しておくことが必要であると考えます。
1日開催された文教常任委員会で、府立高校の授業料改定等の議論がありました。
府教委は国の地方財政計画等により、これまでより年間3600円値上げとなる、年間11万8800円にしたいとのこと。
確かに理屈上はやむを得ないことではありますが、まだまだ厳しい社会情勢の中、「値上げ」というのは感情的に受け入れられない部分もあるのではないかと考え、小生より数点、府教委に質問をいたしました。
質疑応答において、「改定する授業料の水準は他府県に比べ決して高いものではない。」「物価、勤労者所得などの指標も参考にしている」「ここ数年で私学の授業料は約3%アップ」「この改定で府財政に与える影響は年間約3600〜3700万円。府財政もたいへん厳しい折、府税負担と保護者負担のバランスをとりたい」といった詳しい事情が明らかになりました。
詳しい事情により、「なるほど、それなら仕方がない」と思えるようになったのですが、それならもっとていねいな説明があってもいいのではないか、と感じました。特に府民に負担をお願いするケースには、さらに慎重に、さらにていねいに、行政は説明する必要があると考えます。
6月26日に初めて行った一般質問の内容をお知らせします。
(今後の目指すべき京都の姿について)
まずはじめに、今後の目指すべき京都の姿につきまして、知事にお尋ねいたします。
昨年就任された安倍首相は、その所信表明演説におきまして、「長い停滞のトンネルを抜け出し、デフレからの脱却が視野に入るなど、改革の成果が現れ、未来への明るい展望が開けてきました」と述べています。しかし、現実には、景気の回復は部分的であり、地域では依然として厳しい状態が続いていると言わざるを得ません。わが国全体としては、少子高齢化が進展し、人口減少社会が到来する中、格差の拡大、ルールを無視した企業の不祥事、そして信じられないような痛ましいニュースが毎日マスコミにおどっている状況です。世界に目を向けると、温暖化の進行、紛争やテロが頻繁に発生するなど、私たちの暮らす身近な地域から世界各地に至るまでが閉塞感に満ちた社会となっているのではないでしょうか。
誰もが、私たちの暮らす社会を、そしてこの京都をもっと良くしたい、もっといい形にして次の世代にバトンタッチしたいと考えているにもかかわらず、このような先行きの見えない社会では、何をどうしたら良いのかがわからず、暗中模索をしながら、毎日を懸命に生きている、というのが現実ではないでしょうか。
新しい世紀の幕開けとともに、「むすびあい、ともにひらく新世紀・京都」を基本理念に掲げた新京都府総合計画がスタートし、また、2005年3月には、『「人・間中心」の京都づくり 5つのビジョン』が策定されました。本ビジョンでは、「人・間中心」を基本の視点に据え、次世代を担う子どもの人間性あふれる成長を願う京都、などを目指していますが、これはあくまで2001年から2010年までの新京都府総合計画実現のための中期ビジョンであります。
では、その先の、将来の目指すべき京都の姿をどのように考えておられるのでしょうか?知事のお考えを伺いたいと思います。
新しい世紀に生きる私たち京都府民に、この厳しい時代を乗り越えるため、今後のあるべき京都の方向性を明確に指し示すことこそが、責任あるトップリーダーの役割であると考えます。現状をしっかりと見据え、問題点を明らかにし、府民誰もが理解できるわかりやすい目標、そして、府民に夢と希望を抱かせるような、明確なビジョンをぜひご提示いただきたいと思います
私たちの暮らす京都は、世界に誇りうる美しい自然や伝統文化を有し、長い歴史の中で常にわが国の中心地でありました。
京都といえば世界中の誰もが愛する地域と言っても過言ではないと思っています。そんな京都の、これからの役割といたしましては、この社会にはびこる閉塞感を打破するため、国の一歩も二歩も先を行くことでこの国をリードし、そして模範を示してまいることではないでしょうか。知事はわが国における今後の京都の役割について、どのようにお考えでしょうか?
中期ビジョン策定からすでに2年以上経過し、その間、内外情勢の激しい変化もありました。時代を先取りし、5年後、10年後の京都を常に考えておくべきと考えますがいかがでしょうか。お伺いいたします。
次に(道徳教育について)伺います。
その5つのビジョンでは、「忘れかけていた人の「心」の大切さをもう一度見直し、人と人とがしっかりと結ばれた心豊かな社会を構築することが求められています。」と打ち出されています。また、京都が模範を示してこの国をリードしていくという考えに照らしても、道徳教育の充実が今後益々求められるのではないでしょうか。京都府の道徳教育の現状と今後の方向性についてお伺いしたいと思います。
先の教育再生会議においても、「徳育」を従来の教科とは異なる新たな教科と位置づけ、充実させる、と提言するなど、国においても道徳教育を見直す方向にはあります。しかし未だ、どのような形で、どの分野でどのように教えるかというのが不明確であるように感じております。京都府教育委員会が作成した、「京の子ども 明日へのとびら」中学校編の中で、梅原猛先生は、「今の日本では学校でも家庭でも、道徳というものがほとんど教えられていません。世界の中で日本ほど道徳が教えられていない国はないと思います。」と述べておられます。
しかしながら、道徳教育は、教育のいわば中核であると考えます。したがって本来的には、それはただ単に学校教育のみで果たすべき課題ではなく、家庭や社会全体で担うべき役割が極めて大きいと思います。理想的に言えば、学校だけではなく、家庭や地域社会の場で総合的に行うのが良いのではないでしょうか。しかし現実に目を向けますと、核家族化の進行、近所付き合いの希薄化により、一昔前なら、おじいさんやおばあさん、あるいは、近所のこわいおじさん、おばさんが担っていた「道徳教育」の役割があまり期待できなくなっていると感じております。それならば、それはやはり学校が受け皿となり、学校教育の中で責任を持って行わなければならないのではないでしょうか。
文化勲章受章者で数学者の岡潔先生のエッセイにこんな一節があります。「義務教育が何をしなければならないかとなると、これは道義的センスをつけることの一語につきるのではあるまいか。もちろん社会教育、家庭教育が助けてくれるのなら学校教育もやりやすいが、今の世相はとてもそんなものではなく、学校が道義教育をやろうとしても、社会や家庭がじゃまばかりするありさまなので、とてもやりにくいとは思うが、何とかして道義の教育をやってほしいものである。」これは昭和30年代後半に書かれた文章であり、それから50年近くたった現代ではなおさらのことだと思います。
学校教育がしっかりと道徳教育を担うことで、例えば、電車やバスなどで、親が先に人を分け入って座席を確保する光景を目にすることがありますが、そんなとき、「お母さん、だめです。順番を守りましょう」と言える子ども、理想論かもしれませんが、つまり道徳において、親を教育するぐらいの子どもを学校教育において育んでいく意気込みが必要ではないでしょうか。
先に紹介した、「京の子ども 明日へのとびら」は、京都府内の小中学生に配布されたと伺っております。この冊子の具体的な活用方法はどのようになっているでしょうか?また、例えば小中学生だけではなく、高校生編を府立高校生にも配布するお考えはないでしょうか?道徳教育はなるべく早い時期から始めるべきと考えますが、中学生で終わりではなく、高校生やそれ以降にも必要なものだと思います。高校生への道徳教育の考え方もあわせてお伺いしたいと思います。
(大人の教育について)
高校生への道徳教育の延長線上には、大人の教育があると思います。一部には、教育というと子どもに対するものであり、大人にはもう良い、大人は自己責任で、自分の判断で勉強すればよい、といった考えはないでしょうか。しかしながら、私たち大人への教育、特に継続した道徳教育、モラル面での啓発活動が今の時代、ますます必要になっていると考えます。
例えば、給食費の滞納問題が象徴的な事例ではないでしょうか。今年初めの文科省の発表では、2005年度の全国の小中学校の滞納総額が22億円、児童・生徒数で見ると100人に一人が滞納していた計算になるとしています。滞納のあった学校の6割では、「保護者の責任感や規範意識が原因」としており、経済的に払えるのに払わない保護者の存在が浮き彫りとなっております。給食費を払えるのに払わない、そのかわり携帯電話代には月に何万円と払っている親の姿をみて、子どもがまともに育つでしょうか。子どもは大人社会のかがみであり、大人の言動に敏感に反応するものです。
特に、親の責任は誠に大きいと思います。昔から、親の背中を見て子どもは育つと言いますし、子どもに何かあったとき、「親の顔が見たい」とよく言ったものです。常に親のあり方を見て、人間とはいかにあるべきか、いかに生きるべきか、と子どもは考えるのではないでしょうか。さらには、親によって教育に対する力の入れ方に温度差があり、子どもへの教育に直接大きな影響があるようにも感じております。
毅然とした態度で子どもの前に立つためにも、親もそれ以外の大人たちに対しても、常にモラル面での啓発活動が必要ですし、また、勉強したいという意欲があれば、生涯いつでも教育を受けられる仕組みづくりがこれからますます大切になってくると考えます。教育改革や教育再生と言って、多大なお金や時間、多くの労力を使って子どもの教育に力を入れても、テレビや新聞におどる大人たちやあるいは身近な大人たちが悪いと、せっかくのエネルギーがむだになってしまうのではないでしょうか。
大人に対する教育の考え方について、伺います。
京都府教育委員会では「ドキドキ子育て」といった家庭教育手帳を保護者に配布し、家庭での教育やしつけの参考にするよう促していますが、これらの活用状況はどのようになっているでしょうか?また、学習習慣や生活習慣が子どもたちにしっかりと身に付くよう、小学校就学前の子どもを持つ親を対象に「応援塾」を今年度から開設されると聞いておりますが、この状況はどのようになっているでしょうか。さらには、これら以外に親の教育、あるいは大人の教育に取り組んでいることはあるのでしょうか。
最後に(選挙の開票事務作業の効率化について)お伺いいたします。
今回の選挙では、選管の発表ミスがありました。その後の対応として、関係者の方々の処分があり、また、今後の再発防止対策を講じていただいておりますことは、真摯に受け止めたいと考えております。
ところで、今回のミスは単なる個人的なもの、あるいは、部分的なものだったのでしょうか。私は、もっと構造的なもの、あるいは、体質的なものではなかったかと感じております。
現在、全国的には、「0.1秒の改革」として、多くの自治体が少しでも開票作業時間を短縮することで、公職選挙法が求めるところの「選挙の結果を選挙人に対し速やかに知らせる」ことを追求する流れにあります。この迅速性を高める工夫が、結果的に正確性や公平性をより高められるという研究結果も発表されていますし、さらに言えば、選挙の信頼性、住民の意思を政治に反映するという民主主義の根幹にも大きくかかわってくるものであり、開票事務作業の効率化がますます求められるものと考えます。
自治体によっては、例えば、開票場での職員の服装を、それまでのスーツ、スリッパから、作業着、運動靴に変え作業しやすくしたり、あるいは、開票立会人に開票場内を自由に巡回させることで信頼性や透明性を高める工夫をする自治体も見られます。その結果、開票時間が短縮されただけではなく、「経費削減につながった」「職員の疲労の軽減につながった」との声も多数存在するとのことです。
京都においても、例えば、亀岡市では、開票作業にあたる職員を、作業工程に応じて担当事務を兼任させ、票の流れにあわせて職員の流れをつくるような作業を目指したり、従来の人海戦術主体の開票作業から機械化できる部分は積極的に機械を導入し、人員の削減を図るなどの工夫をされました。その結果、今回は前回に比べ、開票時間が短縮され、作業者が減り、人件費が削減された、とのことでございます。
その一方で、一部報道によりますと、開票時刻と終了時刻の統一基準がないことで、開票時間について、府と市町村の認識に食い違いが見られたり、集計票の確認方法がそれぞれの選管に委ねられ、確認がなされなかったという事例が見られております。
つまり、開票作業の改善に対する意識について、市町村や行政区によって温度差があり、亀岡のように工夫している自治体がある一方で、工夫があまり見られない自治体も存在するのではないでしょうか。ある開票立会人の方に伺いますと、その開票場では開票作業がとっくに終わっているかのように見えるのに、なかなか結果が発表されず、その間何をやっているのかわからなかった、という声も聞かれました。開票結果の発表が恒常的に遅い行政区もあるようです。
今回、ミスが発生した時刻は、日付が変わりそうな深夜でございました。作業をされていた方の疲労は相当なものであったと推察いたします。
民主主義に対する信頼を取り戻し、二度とミスが起こらないようにするためには、京都全体として開票時刻等の統一的な基準をつくり、事務効率化に努めることが必要であります。さらにその上で、トップダウンによる明確な目標設定、また、目標を組織で共有するためのリーダーシップ、さらには、職員の方々の意識を変えるための強い意志が必要ではないでしょうか。選挙管理委員会のご所見を伺いたいと思います。
以上で私の質問とさせていただきます。ご清聴誠にありがとうございました。